女性は結婚すると、人生が一変する。姓が変わり、家事と子育ての負担が増える。ましてや専業主婦ともなれば、夫と子供の世話だけに明け暮れて、ほとんど〈女〉の部分は失っていく。というか、本人はいつまでも女であり、ひとつの人格を持つ人間なのに、そんな当たり前のことを周囲が忘れていくのだ。「ママ、お水ちょうだい」「ママ、ソックスはどこ?」「君には、仕事のことは分からないよ」……。
もちろん例外もあるだろうが、世界中の女性たちの多くはそういう生活にストレスを抱え、時に鬱々として、自信を失ってしまう。
『マダム・イン・ニューヨーク』の主人公は、そんな思いを抱くインドのごく普通の専業主婦シャシだ。料理上手の腕前を生かして菓子のラドゥを知り合いに売ってみんなの褒め言葉を聞く時だけ、小さな自信と大きな喜びを感じる。しかし、それも夫からは「ラドゥ作りは、君の天職だ」と、流される。裏を返せば、ほかに取り柄がないの?と心に冷たい風が吹くばかりだ。しかも、生意気盛りの娘にとっては、料理の腕前なんか二の次で英語が話せない母が恥ずかしい。ことあるごとに、見下した態度をとる娘にシャシは心を痛める。度重なる娘の心ない言葉に思わず「勉強なら教えられる。でも、どうやって教えるの、思いやりは……」と涙する。
心にくすぶり続けた不満、虚無感、劣等感を嫌というほど自覚するきっかけとなったのは、姪の結婚式のためのアメリカひとり旅だ。ろくに英語の話せないシャシにとって、異国での数々の初体験は恐怖のアドベンチャー。早口で注文を急かす意地の悪い店員の前では萎縮してコーヒーすら買えない。あるよなぁ、こういうことって。世界中の人間が英語を話せるのは当たり前、もしくは英語がわからない奴はバカ?みたいな意識のアメリカ人って、確かにいる。そんなやからに運悪く当たると、たとえば飛行機でCAがまくしたてるメニューの説明も聞き取れないワタシはバカで、使えない奴なんじゃないかと落ち込む。ただ英会話が苦手なだけなのに、初めてだから分からないだけなのに、なんだか人格まで否定された気分……。本作にはそんな身近なエピソードが、時にユーモラスに、時にせつなくちりばめられて、シャシの揺れ動く心象風景を丁寧に映し出していく。脚本&監督が巧い!
もちろん、シャシはそこで直面する〈出来ない〉をひとつずつクリアしていく。そう、素晴らしいのは〈4週間で英語が話せる!〉の広告に目を留めて果敢にも英会話学校に通うことだ。この行動力!だからこそ、最初は「そんなの嘘よ」と笑っていたアメリカ育ちの姪ラーダもサポートするのだ。シャシの本質をちゃんと見つめ、先輩の女性への敬意を払うラーダは、物語の素敵なアクセント。自分を理解し、応援してくれる味方がひとりでもいるのは、本当に心強い。演じるプリヤ・アーナンドも、キュートで輝いている。
さて、もうひとつ〈素敵なアクセント〉がある。それは英会話学校のクラスメート、ローランだ。コーヒー店で店員に意地悪されたシャシにひとめ惚れした彼は、フランス男らしく恋に積極的。熱いまなざしで見つめ、片言の英語で「とても美しい。瞳は、ミルクの雲に落としたコーヒーのひとしずく」なんて言われたらクラっとしないワケがない。彼の存在によって、シャシは現役の女性としての魅力もたっぷりあることがよくわかる。もっともシャシを演じるシュリデヴィは、笑顔も泣き顔もチャーミングだし、色鮮やかなサリーをまとった姿は本当に美しくて超・魅力的。誰だって、心を奪われてしまうのは当然なんだが。ともあれ、この恋のゆくえがシャシの曇りのない魂を浮き彫りにし、ひいては映画にも清潔感を与え、後味の良いものにしている……。
と、ここまで書いて、はたと気がついた。短いけれど心に響く台詞の数々、日常に転がっているけれど思わず共感してしまうエピソードの積み重ね、シャシの心模様を素敵な歌詞とメロディで綴る秀逸なサウンドトラック、名優アミターブが演じた機内の隣人の素敵な"ご託宣"、姉に批判的なまなざしを向けている小さな息子ですら出番は少なくても本質を口にしたりして、感動&共感&褒めポイントが満載だ。これでは、書ききれない!?
ボリウッド映画といえば、むせ返るほどに情熱的な歌とダンスが延々と続くメロドラマとか、リアリティを無視した勧善懲悪のド派手アクションといったイメージが強いが、本作は違う。もちろん、歌とダンスのシーンがちょっぴり挿入され、ハイライトの結婚式シーンはシャシ役のシュリデヴィが、かつて一世を風靡した巧みなダンスを披露する楽しいシーンになっているのだが、それも絶妙なさじ加減。ボリウッド映画の風味をちゃんと残しながらも、人物の描き方も、演出も、映像も、すべてが洗練されている。主婦の焦燥や戸惑い、新しい人生への第一歩を描いた作品はこれまで世界中で数多く作られてきたけれど、こんなふうに軽やかで楽しくて、後味がいいのは久しぶり。何回でも見たくなる。